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りんごの原産地は中央アジアのコーカサス山脈と、中国の天山山脈を
中心とした地域と考えられています。
その西洋りんごが日本にやってきたのは明治4年(1871)。
青森県には明治8年(1875)、内務省勧業寮から県庁へりんご苗木3本
配付されたのが始まりです。

◆りんごの歴史 〜明治時代〜

年代 出来事
1875年(明治 8年) ■4月内務省勧業寮から青森県庁にりんごの苗木3本配布される。
■米国人宣教師ジョン・イング師が、キリスト降誕祭で教え子や信者たちに
  分与した「りんご」が西洋りんごとしてはじめて本県に紹介される。
1877年(明治10年) 西南戦争
■弘前市在府町養蚕家 山野茂樹が屋敷畑(現在の弘前大学医学部)に
  試植したものに初めて結実し、8月15日採取。
1887年(明治20年) ■黒石郊外山形村(現在黒石市)興農株式会社誕生、10ヘクタール開園。
 これが現在の青森県りんご試験場。
1889年(明治22年) 大日本帝国憲法発布
1891年(明治24年) 上野、青森間鉄道開通
1894年(明治27年) 日清戦争(〜1895年)
1899年(明治32年) ■青森の果実商 堀内喜代治、ロシア領ウラジオストック港へ直輸出。
1900年(明治33年) ■モニリア病大発生、中郡清水村(現在弘前市清水)で皆無作。
1901年(明治34年) ■りんご酒醸造販売
1904年(明治37年) 日露戦争(〜1905年)
1905年(明治38年) ■りんご袋かけが始められ、恐慌を切り抜け、再び増殖時代に入る。
1906年(明治39年) ■津軽林檎輸出組合設立。上海に直輸出。
1908年(明治41年) ■青森、神戸間でりんごの冷蔵貨車輸送試験を実施。
  津軽を中心にモニリア病が大発生。


菊池楯衛きくちたてえ(1846〜1928)

 りんご栽培の最初の苗木配布者及び試植者で、青森りんごの開祖といわれています。
 青森県にりんご栽培が適することを確かめ、りんごの栽培技術を広めて、本県がりんご主産地になる基礎を作りました。
 もともと旧藩時代から果樹や花卉の栽培に熱心で経験を持っていたことが、西洋りんごの将来性を見抜き、これに傾倒していく素地になったと考えられています。

◆りんごの歴史 〜大正時代〜

年代 出来事
1913年(大正 2年) ■県農事試験場の三浦道哉がりんご病原菌を検出し、
  ボルドー液散布の普及に努めた。
1914年(大正 3年) 第1次世界大戦に参戦
1917年(大正 6年) ■県農事試験場苹果部を創設。
1918年(大正 7年) 米騒動
1921年(大正10年) ■本県りんご栽培指導者農林技師 島善鄰を4月欧米に派遣。
1923年(大正12年) 関東大震災
1925年(大正14年) ■生産過剰から価格暴落。
1926年(大正15年) ■青森県りんご生産同業組合設立。青森県りんご移出同業組合が設立。
  青森県農事試験場苹果部を園芸部と改称


外崎嘉七とのさきかしち(1859〜1924)

 明治中・後期の病害虫多発期に、樹形改造、袋かけ、ボルドー液散布などの普及に努め、りんごの神様と慕われました。りんご危機克服の大号令者です。
 大正10年に弘前市で開催された緑綬褒章拝受祝賀会には、500名もの人が集まったそうです。

◆りんごの歴史 〜昭和40年まで〜

年代 出来事
1931年(昭和 6年) 満州事変
■4月1日、青森県農事試験場から園芸部を分離、青森県苹果試験場
 (現 青森県りんご試験場、庁舎は現 りんご史料館)として発足。
1932年(昭和 7年) 五・一五事件
1936年(昭和11年) 二・二六事件
1937年(昭和12年) 日中戦争
■県に特産課設置。
  南郡藤崎町に「ふじ」を育成した農林省園芸試験場東北支場設置。
1939年(昭和14年) ■上海に物産紹介出張所設置。
1940年(昭和15年) ■移出 1,000万箱突破、輸出 100万箱。
1941年(昭和16年) 太平洋戦争(〜1945年)
1945年(昭和20年) 広島・長崎へ原子爆弾投下、ポツダム宣言受諾−降伏
■モニリア病、尺取虫大発生、生産量300万箱以下。
1946年(昭和21年) 日本国憲法公布
■青森県りんご協会設立。
  県財政難のためりんご税を9月1日から1箱につき4円(付加税とも)賦課。
1947年(昭和22年) ■青森県りんご輸送対策協議会設立。
1948年(昭和23年) ■県経済部にりんご課設置。東京、大阪、門司に青森県事務所設置。
  青森県林檎振興株式会社設立。青森県りんご検査所独立。
1949年(昭和24年) ■りんご税をりんご引取税と改称し、
  1箱につき県税15円、市町村付加税15円の計30円賦課。
1950年(昭和25年) ■りんご引取税全廃。青森県苹果試験場を青森県りんご試験場に改称。
1951年(昭和26年) サンフランシスコ平和条約、日米安全保障条約
■花芽不足による4分作、推定実収高 891万箱。
1952年(昭和27年) ■青森県りんご輸出協会設立。生産量 2,000万箱突破。
1953年(昭和28年) テレビ放送開始
1954年(昭和29年) 自衛隊の設置
1955年(昭和30年) ■モニリア病大発生、生産量 932万箱と昭和26年に次ぐ不作。
1956年(昭和31年) 日ソ国交回復。国連に加盟。
■「県りんご安定生産運動」を組織。
  りんご栽培史上未曾有の2,900万箱の大豊作。
1957年(昭和32年) ■青森県りんご加工協会設立。
1959年(昭和34年) ■斑点落葉病各地に発生。推定実収高史上最高の2,971万箱。
1960年(昭和35年) 日米新安全保障条約
■柏村にある日本最古のりんご樹(紅絞2本、祝1本)が
  青森県天然記念物に指定。
■りんご栽培面積を航空写真により調査した結果25,500ヘクタールと判明。
1963年(昭和38年) ■県りんご生産高は史上最高の3,437万箱。バナナの輸入自由化により、
  りんごの売行きに大きな影響を及ぼす。
1964年(昭和39年) 東海道新幹線開通・東京オリンピック開催
■日本で最初の農協協同による大規模C・A貯蔵庫完成(弘前市)。


木村甚彌きむらじんや(1898〜1991)

 昭和4年、農事試験場園芸部に技手として就任以来40年間、他に転任することなく一生をりんごの病理とその防除法に取り組んで、病害防除体系を築き上げました。
 青森県りんご試験場でりんごの病害研究に従事していた当時は、風土病といわれたモニリア病の解明や防除法の確立に貢献しました。また、昭和27年から45年までりんご試験場長を務め、りんご病害虫防除やわい性台木の導入などに尽力しました。


澁川傳次郎しぶかわでんじろう(1898〜1991)

 青森りんごの戦後復興の祖と言われ、第二次大戦で荒廃したりんご園を復興するため、先頭に立って運動し、りんご生産者で組織する「青森県りんご協会」を設立しました。
 剪定講師として各地を周り、大勢の生産者がその技術を学びました。

◆りんごの歴史 〜昭和40年以降〜

年代 出来事
1965年(昭和40年) ■台風23号(9月10日〜11日)、24号(9月17日〜18日)により
  史上最高の約540万箱落果。
1967年(昭和42年) ■3月、県りんご輸出共販協同組合が誕生し、りんご輸出の窓口が一本化。
■7月、果樹保険臨時措置法設立、りんごの災害救済に初めての立法措置。
1968年(昭和43年) 国民総生産、資本主義国第2位
3億円事件発生、川端康成ノーベル文学賞受賞
■みかん、いちごの大増産、バナナ輸入増等消費者の嗜好の変化により、
  紅玉、国光小玉の品種が暴落となり、山や川に大量投棄されたので、
  俗にこれを「山川市場」と称した。
  このため、不況打開の根本対策として品種更新が急速に促進。
■10月、県りんご試験場新庁舎落成。
1969年(昭和44年) ■8月、八戸市、上北町、倉石村などにおいて黒星病発生。
1970年(昭和45年) 大阪万国博覧会開催、「よど号」ハイジャック事件発生
1971年(昭和46年) ■りんご試験場わい性台木の生産を開始し、わい化栽培の促進に踏み出す。
■りんごの加工需要を図るために、りんご冷凍濃縮果汁を主製品とする
  大規模加工工場が国、県の補助及び農協の共同出資2カ年計画で着工。
■北欧市場のスェーデン、ノルウェー、西ドイツの3国に対し、りんごの
  実験輸出を実施。
■6月ガット(関税及び貿易に関する一般協定)により、りんご生果の輸入が
  自由化される。
1972年(昭和47年) 沖縄返還、日中の国交正常化
■りんご黒星病が大発生。
  10月7日、「青森県りんご黒星病及びりんご腐乱病蔓延防止条例」が公布。
1973年(昭和48年) 石油危機
■りんごわい化栽培モデル園を弘前市、三戸町の2ヶ所に設置。
1974年(昭和49年) ■無袋ふじ促進のため、生産者団体による「青森県サンふじ推進協議会」
  が発足。
■青森県りんご百年記念式典を挙行。
1975年(昭和50年) ■青森県りんご百年記念碑を県庁構内に建立。
  りんご百年記念切手及び記念たばこ発売。
■非自由化品目であるりんご果汁1,100トンがはじめて緊急輸入。
 北朝鮮から加工用りんご1,114トン輸入。
■青森県りんご試験場で、陸奥、恵、王鈴に続いて4番目となる
  「青り2号」が45年ぶりに「つがる」で名称登録。
1977年(昭和52年) ■腐乱病防除の一環として、泥巻法が普及。
■天皇陛下がりんご試験場を御視察。
1978年(昭和53年) ■6月上〜下旬にかけ異常天候のためデリシャス系を中心に異常落果が発生。
  被害数量は品質低下も含め約115,000トン(719万2000箱)被害額122億円。
1979年(昭和54年) ■台風20号(10月19日〜20日)により447万箱、67億円の被害。
1980年(昭和55年) ■1月アラブ首長国連邦のドバイへ1万5,000箱初輸出。
  生産量3,000万箱と史上3番目の豊作。
1982年(昭和57年) 東北・上越新幹線開通
■生産量で「ふじ」がデリシャス系をぬき、初めてトップとなる。
  昭和43年の国光、紅玉に引き続き、再び品種更新の必要性が高まる。
1983年(昭和58年) ■青森県りんご試験場で育成した「夏緑」、「北斗」品種登録。
1984年(昭和59年) ■豪雪により、35億円の被害。
1985年(昭和60年) ■台風13号(9月1日)により159億円の被害。
1987年(昭和62年) ■1月〜4月、県内加工企業がアメリカ産凍結りんご(グラニースミス)
  1,710トンを輸入。
■台風12号から変わった低気圧で90億円の被害。
1988年(昭和63年) 青函トンネル開通
■7月、平成2年4月からりんご果汁輸入自由化決定。


齊藤昌美さいとうまさみ(1918〜1991)

 昭和30年、青森県の農林省園芸試験所東北支場で開発された「東北7号」(のちの「ふじ」)の普及に努めました。
 青森県では、「ふじ」の着色があまり優れないことから最初は増殖に踏み切りませんでしたが、東北支場から依頼された對馬竹五郎とともに、その味覚の良さから国光に代わるべき品種として確信したのです。
 平成17年、青森県りんご勲章授章。

◆りんごの歴史 〜平成元年以降〜

年代 出来事
1990年(平成 2年) ■元年産りんごの販売額が1,093億円と初めて1,000億円の大台を突破。
■りんご果汁輸入解禁。
1991年(平成 3年) ■9月28日、台風19号は青森市で観測史上最高の最大瞬間風速53.9m/s
  を記録し、被害面積22,400ヘクタール(90%)、被害数量38万8,000トンの
  被害金額741億7,000万円。
1992年(平成 4年) 国連平和維持活動協力法成立
■平成3年の台風被害にもかかわらず平年並の483,800トンの収穫量を確保。
■台風被害に際し、全国からいただいた支援に感謝するため、
  5月9日台風19号全国支援感謝大会を開催し後世に渡り記憶に止めるべく
  県りんご試験場内(黒石市)に
  「青森県りんご全国支援感謝メモリアルガーデン」を設置。
1993年(平成 5年) ■6月、これまでの植物防疫上の理由により輸入が禁止されていた
  ニュージーランド産りんごの輸入が解禁される。
■12月、県産りんごがニュージーランドに初輸出。
1994年(平成 6年) ■6月、ニュージーランド産りんごが初上陸。
■8月、生産量世界有数のアメリカ産りんごが輸入解禁。
1995年(平成 7年) 阪神・淡路大震災
■1月、アメリカ産りんご初上陸。
■県産りんごがアメリカに初輸出。
■県では、平成7年度を「りんご園地若返り元年」と位置づけ、
  高率の補助事業がスタート。
1997年(平成 9年) ■9月、フランス産りんご(ゴールデンデリシャス)が輸入解禁され、
  商業ベースで約12トン初輸入。
1998年(平成10年) 長野冬季オリンピック開催
■1月、青森りんごの輸出促進を図るため、台湾及びタイへ
  青森りんごミッションを始めて派遣。
■12月、オーストラリアタスマニア州産りんご(ふじ)が輸入解禁。
1999年(平成11年) ■2月、台湾へ青森りんごミッション派遣。
■4月、青森県単独で「生食用りんご価格安定事業」設立。
■6月、オーストラリアタスマニア州産りんご商業ベースで11トン輸入。
■7月、アメリカ産りんご5品種(ふじ、ガラ、グラニースミス、
  ジョナゴールド、ブレイバーン)追加輸入解禁。
2000年(平成12年) ■4月、りんご課をりんご果樹課と改称。
■7月26日ふじ発祥の地 藤崎町で、「ふじ生誕60周年感謝祭」を挙行。
2001年(平成13年) ■3月、「21世紀青森りんご行動計画」策定。2001年をりんご元年と位置づけ、
  「2001年りんご元年の集い」を弘前市で開催。
■りんごの日を11月5日とし、名称を「いいりんごの日」とすることを発表。
■4月、国の「果樹経営安定制度」が発足。
  県の「生食用りんご価格安定事業から移行。
■4月21日〜23日、県内広い地域で凍霜害が発生、
  被害面積9,882ヘクタール被害額84億1,000万円となる。
  凍霜害としては過去最大の規模。
2002年(平成14年) ■1月、台湾及び中国がWTOに加盟。台湾へのりんご輸出が伸びる。
■4月、りんごの開花日が黒石で王林とジョナゴールドが過去最早記録、
  五戸では、王林、ジョナゴールド、紅玉が過去最早を記録。
2003年(平成15年) ■6月、14年産りんごの価格低迷により、経営安定制度2年続きで補填発動。
2004年(平成16年) ■1月、台湾へ青森りんごミッションを派遣。
■6月、上海への青森りんご輸出調査。
■台風15号、16号、18号、21号、22号の接近や上陸に伴い
  9万3,000トンの落果と1万本の樹体損傷、被害金額155億8,000万円。
2005年(平成17年) 愛知万国博覧会開催
■豪雪により、樹体損傷118億円の被害。
■8月、アメリカ産りんご検疫措置緩和。
  (火傷病、指定園地制度や果実殺菌を廃止し、果実の成熟検査のみ)
■9月、弘前市を主会場に第52回全国りんご研究大会開催。
2006年(平成18年) ■2月、台湾政府はモモシンクイガについて新たな検疫措置(生産者登録、
  選果場登録(73箇所)、モモシンクイガ発見時の輸入禁止等)スタート。
■3月、青森県果樹農業振興計画策定。
  青森りんごグランドデザイン構想を作成し、
  「日本一の高級りんご生産で販売額1,000億円の復活!」を提唱。
■豪雪により2年連続の被害。(30億円)
■5月、ポジティブリスト制度施行。
■7月、タスマニア産りんご輸入解禁品種が全品種に拡大。
■9月、りんご果汁の原料原産地表示について、
  食品の表示に関する共同会議において見送りに。
■9月、新たなりんご経営安定対策のあり方について、
  青森県りんご経営安定対策検討委員会の
  神田健策座長(弘大農業生命科学部教授)より知事に
  需給調整事業と経営安定対策の2段階制度の創設を提言。
2007年(平成19年) ■暖冬少雪。青森地方気象台は58年ぶり2月中の積雪ゼロを発表。
■4月、国は果実需給調整・経営安定対策事業を果樹経営支援対策に移行。
■4月、県は独自にりんご経営安定対策事業を創設。
■7月、ニュージーランド産りんごの検疫措置をアメリカ産並みに緩和。
■10月、県は放任園対策会議を開催。
■台湾を中心とした18年産りんご輸出量は過去最高となる。
■18年産りんごの販売額911億円を達成。

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